伊東会長 × JC相澤会頭 対談


 平成22年8月8日、全国日蓮宗青年会 伊東会長と、社団法人日本青年会議所 相澤会頭との対談がとりおこなわれました。
 このページでは、その対談の模様を以下に掲載しております。


伊東政浩会長:
(以下、『伊東』)

 この度、日本青年会議所(以下JC)の会頭様と対談が出来ることはとても有り難い事と感謝申し上げます。このご縁は、会頭様が、本山堀之内妙法寺様の筆頭総代であられることから企画させていただきました。妙法寺様との関係をお聞かせください。

相澤弥一郎会頭:
(以下、『相澤』)

 戦後相澤家は武蔵野地域で被災しており、書物等焼失しているものが多く、多くは口頭伝承と縁者からの話ですが、二代目相澤キヘイさんの代に、当時真言宗であった妙法寺さんと縁があり、廃仏毀釈の際にはお祖師を一時お預かりしたということから、それ以来の蜜月関係を築かせていただいております。

 相澤家はお祖師様に護られて今があると考えており、何があってもお仕えしていかなければとの考えから当時総代であった父は晩年体調をくずし、最後となってしまった妙法寺総代会での発言で、「これが最後のご奉公である」と言いました。お寺に対して、当主であってもご奉公するという立場を貫き通しました。

伊東:

 有難うございました。本当に素晴らしいお父上様であったと感銘いたしました。
 次にお伺いしたい事は、相澤会頭様は97年に東京JCに入会されて以来、様々な役職を経て現職をなさっておりますが、JC運動について是非ともお聞かせ頂きたく存じます。

相澤:

 JCは1951年にサンフランシスコ講和条約前に、全国の青年運動の連絡調整機関としてスタートしたのが発端です。
 最初に東京・大阪・函館・前橋という各地域の青年会議所が出来ました。元々青年会議所運動の本質というのは、敗戦をして戦後の復興をしなければならない、日本全国で当然その機運が高まっていたわけですが、連合国統治下の中で頼るべき政府が存在しなかった。
 日本国政府と言うのは占領下に置かれていた。しかしそういった中でも、今後日本はどういった方向に進んでいくべきなのか、あるいは自分たちの地域に生きる人たちがどうやって復興していくかというのは大きな都市だけの問題ではなく地方都市でも起きていた。
 戦後復員をし、無事に帰ってきた若くて元気な人たちがなんとか自分に出来ることから戦後復興をして行こうではないかと自発的に集まったのがJC運動であったと言われている。
 JCは全国の連絡調整機関ですので、運動のあり方は置いておきますが、そもそも青年会議所運動は、地域の街づくりを中心に行ったり、関わっているメンバーがメンバーシップのトレーニングを行ったり、あらゆる出会いを通じながら自身の人生に生かしていく。ということを大体3つの柱として考えています。
 社会に役に立つ人間を輩出しなければならない、だからあらゆる機会を捉えて自らの修養に務めなさいという事を定款上に一番最初に謳った団体です。そういう団体であったからこそ、今年で59年目になりますが、有り難い事に途絶えることなく続いております。
 また今般めでたく公益社団法人となりましたので、内閣府からもJCが公益性の高い団体であると認可をいただきました。

伊東:

 JCの「自身の修養の場である」という事と「社会・地域貢献」など全国日青の掲げる問題と共通する事柄について伺いたいと思います。
 全国日青は青年僧がそれぞれ知恵を出し合い、僧侶としての公益事業や自分の修養、修練、修行の場であると考え、自らの資質向上の為に勤める場であると考えています。
 また、供養を大切にし、全国を回ったり、ボランティア活動、平和活動、を中心に活動しております。その中で、地域貢献というのは、お寺はそもそもはコミニティーでありました。
 寺子屋は学校の始まりであり、病院も元をたどればお寺に行き着く。それを踏まえ、現在、葬式・法事が中心となった中で、仏教の「衆生救済」という本来の事と向き合い、法華経を拠り所とした生き方を啓発していく。また、悩み苦しむ人々に対し、葬儀・法事プラスアルファとして、青年僧として力を合わせて何か出来ないかという事を模索しながら活動しているという点で、JCの綱領「青年の力を合わせて明るい豊かな社会を築き上げよう」という目標と共通点があると考えます。
 宗門では「立正安国 お題目結縁運動」を行っており、敬いの心で安穏な社会づくり人づくりを目指して活動しています。JCの「わんぱく相撲」や「はまっ子スクール」のように、我々も「修養道場」「寺子屋」「お寺サマースクール」等々、青少年活動にも力を入れております。青少年育成に関しての活動理念をお聞かせ下さい。

相澤:

 人としてこう生きよという事に関しては宗門の皆さんにお任せしたいと思います。
 JCのスタンスとしては、教育の根本は、親が子供を育てるという事だけに尽きないという事です。子供は親がいなくても育つといいますが、勝手に育つという意味では捉えていません。むしろ社会に放り込まれる事によって社会も子供を育てていくという義務を負っているのだろうと考えています。ですから例え親がいなくても、その分を社会が補っていけるという最高に優れた仕組みというのがこの日本の文化が持っている。
 例えばその中にお寺さんがあり、地域の方々もいたでしょうし、寺子屋、友人関係、その子供にとって見ると全てが社会ですので、社会が育んでいく要素がありましたが、現在ニュースを見て、教育が荒廃している。親が子を、子が親を殺す。これはどうしたことかとあらゆる手立てを考え、あらゆる事業を行う、わんぱく相撲や子供社会体験をしよう、命の大切さを教えようといろいろな手段がありますが、究極的に課題となるのが、一番来て欲しい親御さんが来てくれない。
 例えば親の責任を放棄している親もたくさんいる。そういう親御さんに来て欲しいし、そのような親の子供に対し、信頼できる大人もいる事を伝えたいのに、そういう親御さんは来てくれない。ではどうするのか、といっても近道は無いと思う。
 むしろ回り道でもいいから、意識の高い親御さんからでも良いし、教育熱心な家庭の子供達からでもいいからイベントや事業に来てもらって、そういう人たちが増えていくことによって、教育から隔離されてしまっているような家庭のお子さんをまきこんでいく。これはJCだけではなく、社会として放っておかないという環境を作っていくには、それに完成形は無い。どこまで行っても継続的に関わり続けなればならない、これが社会の役目だと思います。
 社会の隙間に入り込んでしまった子供たちの比率をなんとか減らしていくという事を、我が国の社会として考えていかなければならない事ではないでしょうか。
 子供は大事です、育児は大切ですという事を教えていくというのも重要な役割ですが、それと併せてなくてはならないのは、社会の仕組みを考えましょうということなんです。
 情報が多量に錯綜している現代で、自らで情報を冷静に取捨選択することが出来る力を身につけることによって、30年後の大人を立派にしていこうという事が、JCが今年行っていこうと考えているところなんです。お寺は地域のコミュニティーの中心として、立場によって行える事は違うだろうけれども、関わり続ける事が大事ではないでしょうか。
 特に心や命というものに対して宗門の皆さんが伝える役割を果たしていけば、日本は決して悪くならないであろうと思っています。

伊東:

 明治期からヨーロッパの近代教育(能力・技術優先)の影響を受けた日本の競争教育。約三代に渉った結果、思想や価値観が歪んだ個人主義者が増えていると言えます。
 外国から見ると「日本人には顔が無い」と言われる事がある。これはアイデンティティーがないということです。「個」が尊重される現代ですが、もうドイツでは約40年前に教育に宗教を取り入れ、能力教育(教える教育)から思想価値観教育(育てる教育)に切り替えています。
 対話の精神と共生の心が大切であり、我々はこれを「立正平和」(戦争のない平和 心の平和)として掲げ、平和活動や青少年の育成、またお寺などで伝えておりますが、さらなる努力をしなければと考えております。

相澤:

 地球上の死因は外的要因が多いが、50年後は成人病や病気よる内的な原因が増えるだろうといわれています。
 世界的に基盤を作らなければならないだろう。これを人間の安全保障と言い換えられ、平穏に暮らしていく、安全に暮らしていく生存権が大切で、世界全体で意識を高めていくという時代に入っている。
 特に先進国では高い自殺率に悩んでいる。発展途上国がこれから社会基盤が整い、世界的な潮流の中で、心が安定している社会とは何か、となっていった中で、宗教が果たす役割は大きいと思います。
 何千年という歴史の中で宗教者が失われたことは無い。皆乾いている。拠り所を求めているが、情報が多すぎる。救いを求める人は昔も今も変らない。人間という生物である以上、神・仏の教えは分離できない。
 自分は、法華経に生かされているという思いが強く、これからも大切にしていきたいと思っています。

伊東:

 JCの今年のテーマで「地域を照らす光明たれ」と掲げておられますが、法華経の如来神力品に「日月の光明の如く 能く衆生の闇を滅す」と説かれております事とまさに共通する事であると思いますが・・。

相澤:

 はい、浮世の闇に対して、:暗闇を照らすことは、光の強弱はあれども誰しもが出来る。それに気がついたらいち早く行動しましょうという意味でもあります。気づいていない人がいたら、その気づかない他人を起こしてあげて下さい。

伊東:

 JCクリードに「サービス、人類への奉仕が、人生最善の仕事である」と書いてあります。まさに我々のいうところの菩薩行であります。化他行の精神と志すところは同じですね。

相澤:

 教育もそう。他者の為になにかするというのが大切。良い先生ほど子供に教えてもらっている。ダメな先生ほど教えてやるという気持ちでいる。「怒る」と「叱る」は根本的に違う。歩き方を教えていく、その後は自分で考えて歩く事を教えていくべきである。

伊東:

 まさに「鬼面佛心」ですね。

相澤:

 人類において、本来は人々の拠り所となる、指標となる皆さんはとても尊いはず。生きていく、よき道を現代の言葉に合わせて皆様に伝えていくのが仕事だと思います。活動を変えるのではなく。聞く姿勢も大事ですが、伝える方法を本質を変えずに考えていく必要があるのではないでしょうか。
 もっとわかりやすく伝えていく工夫と努力をしてほしいと思います。

伊東:

 相澤会頭は安里繁信直前会頭との対談の中で「無関心層」についてどう対応していくかはとても大事な課題であるとおっしゃられていました。実際、青年僧の中にも「無関心」の者がいることは否めないと思います。どのようにして運動に巻き込んでいくかお聞かせください。

相澤:

 無関心に対抗する知恵としてどのように対処するか。ネットワークを利用し、情報を発信する。一点から広く叫ぶのではなく、自分の身近に伝える、これを運動という。
 スローガンを掲げるだけでなく、相手に納得をさせることが必要であると考えます。人にものを伝える力には人それぞれのキャラクターがある。「大事だからやりましょう」ではなく自分の言葉でいかに納得させることが出来るか。
 インターネットなどで一気に情報を発信しようとするが、一番は近い距離で話すのが、熱感があり、質感があり、声色がある。まさに日蓮聖人の辻説法はその究極だと思います。
 自分がどれだけ相手に対して説得力を持てるかを試行錯誤して勉強していくべきです。

伊東:

 おっしゃる通りだと思います。全国日青は平成24年に結成50周年を迎えます。過去の反省と敬意を持って新たに出発しなければならない。
 先人と支えていただいた人々への感謝を忘れず、原点に立ち返った上で、現代の青年僧として主体性をもって、今の社会構造・時代に合わせた取り組みを新たに発信していく場にしたいと考えております。
 最後に我々僧侶への期待があればお聞かせください。

相澤:

 法華経を伝える皆さんには尊敬され頼りになる存在になってほしいし、もっと心の問題を説いてもらいたい。地域社会から頼りになる存在になれるよう我々JCもそれを目指しています。
 同じ青年として、豊かな社会づくりを目指していきたい。人と社会に頼られる存在に共になっていけるよう頑張りましょう。

伊東:

 開かれたお寺を目指し、地域の拠り所として、さらには一人一人が地域の光明となれるよう、各々の個性を生かして「敬いの心で 安穏な社会づくり 人づくり」に邁進したいと考えております。
 本日は貴重なお話をありがとうございました。

対談後、相澤会頭にプレゼントされた伊東会長 直筆入の扇子。