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 光岡会長対談





全国単位日青会会員各聖

対 談

長谷川正浩(日蓮宗顧問弁護士)×光岡潮慶(全日青第28代会長)


昨今、宗教法人の公益性が話題となっている。そこで長谷川正浩弁護士と光岡会長に宗教法人の公益性、そしてこれからの日蓮宗僧侶に期待することを語り合っていただいた。

来るべき時に備えるべきである

西 山
本日はお忙しいところ、お時間をいただきまして有難うございます。
私自身、長谷川先生の宗教法人の公益性に関するご講演を聴講させていただきましたが、聴講した教師は限られており、殊に青年僧の中においてはこの公益性への関心度、認知度は低いと感じています。
是非、今回の対談を全日青の機関紙とホームページに掲載させていただき、ひとりでも多くの教師に公益性について考えていただきたくこの場を企画いたしました。
まず、公益性を知るにあたって公益と共益についてお話していただけませんか。

長谷川
公益とは法律上では、不特定多数の利益のことをいい、共益とは特定多数の利益をいいます。
檀信徒だけを対象としているお寺は共益に当ります。
公益と共益の区別は、法律の上でも定かではありませんでした。
今までは共益団体も公益法人と許可されていたのです。
例えば、日蓮宗の育英財団は本宗僧侶を目指す人のみ対象とされていますが、これは共益団体ですが、公益としての財団法人として認められてきました。
しかし、これからはそういうことではいけないということで、財団法人、社団法人に新しい法律を作って区分けすることにしたのです。
非営利法人は、利益を分配できません。解散するときは財産を関係者で分けることはできません。対する営利法人はこれらができるわけです。
非営利法人の中に、公益認定法人を作り、税制を優遇しようということになりました。
宗教法人は非営利法人であり、剰余金を檀家に分配はできず、その収益は宗教活動、公益事業にしか使えません。
そこで宗教法人は、公益事業をしていないと税制上、現在の優遇税制が適用されないのではないかという問題が予想されたのです。

光 岡
それで宗教法人の公益性について議論が起こってきたのですね。

長谷川

そうですね。公益法人制度が改革されていく中、宗教法人も今までのようではいけない、来るべきときに備えなければならないと考え出したわけです。
しかし、それまで宗教の公益性に関しての議論はなく、学者の研究もなかったのです。
そこで平成16年に全日本仏教会で東大の宗教学者である島薗進先生に宗教法人の公益性について講義していただきました。
その講義をお願いしたとき、島薗先生は、宗教学の学者が宗教に公益性があるとか、宗教法人に公益性があるという議論はしていない、あるのは当たり前のこととして研究しているので、正直、戸惑うとおっしゃいました。
島薗先生による講義が宗教の公益性の議論の始りだったのですが、全日本仏教会に属する教団にはなかなか浸透していきませんでした。
私が知っている限りでは曹洞宗と日蓮宗ですね、反応が比較的早かったのは。日蓮宗はすぐ宗教の公益性について話してほしいと頼まれ、それが宗報に掲載されました。
その後、現代宗教研究所からも頼まれ、光栄にも島薗先生と一緒に講演させていただきました。
今では他教団の関心も少しずつ出ていると思います。が、なかなか進まないのが現状です。
文化庁の宗務課で宗教の社会貢献をテーマに研究会がもたれている程度で、宗教法人の公益性が拡く一般的に議論されているわけではないのです。
しかし、最近になって駒澤大学の洗建先生や白鴎大学の石村耕治先生らが発言されるようになってきました。宗務課の研修会では包括法人や被包括法人などに公益性のある事業活動についてどういうことを行っているかのアンケート調査が実施され、まもなく、その報告があがってくる段階です。

宗教活動そのものに公益性がある

光 岡
それでは宗教法人の公益性とは具体的に何があるのでしょうか。

長谷川
宗教法人法第6条に宗教法人は公益事業を行うことができる、必要な場合には公益事業以外の事業を行うことができるとあります。
宗教法人の公益事業という面で考えると、学校、幼稚園、保育園、塾などの教育、そして霊園などが具体的な例でしょうか。
ところがこの宗教活動と公益事業の境がはっきりとしていないのです。行政、民間がやれない緊急性のある事業にいち早く動いているのは、実は宗教団体です。
その良い例が阪神淡路大震災の時でした。マスコミはこの事実を報道しないので、あまり市民に知られていないのは残念です。

光 岡
ところで宗教法人が経営する学校とか幼稚園などで月謝をもらっても公益になるのでしょうか。

長谷川
もちろん月謝をもらっても公益事業です。
ただ、宗教法人は補助金がもらえないので学校法人や社会福祉法人に組織替えしたところが多いのが現状です。
組織替えした事業は形式的に宗教法人から離れてしまうことになりますが、実質的には宗教法人が支えているということを忘れてはいけません。
宗教、宗教法人の公益性は、宗教法人の公益事業にもその根拠がありますが、私は宗教活動そのものにあると考えています。
日蓮宗教師の宗教活動は不特定多数の人のためになる、即ち公益性があると考えています。
如来寿量品の「毎に自らこの念を作す、何をもってか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」、一切衆生に仏身を得せしめんというお釈迦様の誓願を実現しようとするのが私たち日蓮宗の教師です。
この一切衆生は不特定多数を意味しているのです。

宗教的な使命感、文化、そして価値

長谷川
宗教法人の公益性を実質的内容から大きく三つに分けて考えてみました。
まず、一番目に宗教的使命感です。宗教的使命感がある活動としては、平和運動、同和運動、人権運動、災害救助活動、発展途上国援助活動などがあげられます。
マザーテレサは貧民救済活動や看護活動をしたわけです。その活動は、宗教的使命感がなければできなかったでしょう。
日本では、阪神淡路大震災が起きたとき、多くの僧侶が使命感をもって支援活動を行っています。
また、地域では子ども会活動や裁判所の調停委員をされています。丁寧に永く続けるには、宗教的使命感がなければできないことです。
二番目に宗教的文化財、行動様式です。絵画や仏像、建築物や墓石などの文化財はほとんど宗教と関わっています。
そして、年中行事の節分、お彼岸、お盆、クリスマスなどの通過儀礼もそうです。
音楽においても日蓮宗の声明など、すべて宗教に源があります。
法華懺法など先人から正しく受け継ぎ、これを正しく後の人に伝えていかなければなりません。
三番目に価値の生成です。これは重要なことです。
価値の生成とは、お釈迦様や日蓮聖人の価値観を現代に活かすことを意味しているのですが、これが今の日蓮教学に足りない部分だと感じます。
過去の事実の研究、過去の教義の研究は非常に大切なことで多くの成果がでています。
しかし、現在の教義の研究がどこの大学でもあまり行われていないのは残念に思います。
ひろさちや氏のように教義をわかりやすく現代化して説くことが必要です。このような啓蒙書こそ現代の教義といえるでしょう。
この役割を学者ではなく、多くの僧侶が行っています。
現実におきている社会問題を具体的に救済する方法を、その道筋を踏まえて不特定多数の方々が納得するように説明することが必要だと思います。
困難なことですが他大学に先がけて、是非、立正大学の先生方に現代の日蓮教学を創り上げていただきたい。
先生方が創り上げた日蓮教学を、日蓮宗教師が話術などの工夫を凝らして、檀信徒はもちろん不特定多数の方々に、布教するという分業ができればと願います。
そうすれば現場の僧侶は少し肩の荷が軽くなると思います。
価値の生成を「抽出」と「創造」に分けて考えるのですが、次のような理由があるからです。「抽出」とはお釈迦様、日蓮聖人のおっしゃったことを現代化するということです。
「創造」とは例えば脳死の問題がそうですが、お釈迦様、日蓮聖人の居られた時代にはありえなかったことが現在では沢山起きています。
そういう問題に対してお釈迦様も日蓮聖人も当然のことながら何もおっしゃってはいません。
こういう問題にも世間の人々にどうしたらいいのか、私たちは規範を示さなければならないと思います。
それには、お釈迦様の教え、日蓮聖人の教え、そして、現在の医療の状況などを頭に入れて、脳死は人の死とすべきか、そうではないのか、あるいはまだ判断するには早いのかといった結論を出す必要があると思います。これが「創造」です。

光 岡
お釈迦様、日蓮聖人の時代には公益事業はなかったわけですが、現在、公益事業を考える時、国が定めている公益23項目を意識してしまうのですが、このことはどうとらえるべきでしょうか。

長谷川 
新しい社団・財団法で国が考えた公益とは、国の立場で民間がすべき公益を考えたものです。つまり、国の立場にたった公益であって、民の立場にたった公益ではない。
私たちの立場は民のための公益といっています。宗教は国が行うべきものではありません。
国に宗教活動はできないのです。しかも、宗教活動と公益事業はその区別がはっきりしていません。公益事業のほとんどは宗教活動から独立していったものだからです。
寺子屋がその具体例で、その後学校になっていきましたね。病院も寺院が発祥ですよね。
このように公益事業は宗教活動にその淵源があるわけです。
ですからお釈迦様や日蓮聖人の時代は、宗教活動が公益を荷っていたということになると思います。

行動規範を与える僧侶たれ

長谷川 
資本主義の健全な発達にはプロテスタンチズムがあったからだと言われていますが、日本では仏教の価値観の影響が強かったと思います。
日本の財閥の家訓には仏教思想がありました。江戸時代から明治時代にかけての思想は、若干の儒教思想を除くとほとんどが仏教中心であったわけです。
明治時代になって西洋の思想や法律制度が大波の如く入ってきましたが、根本にあった仏教思想が無くなってしまったわけではなく、人々の生活の中に深く浸透していたわけですね。
現在は規制緩和が行われ強い企業しか残れない時代となりました。
規制がなくなったといっても、企業のやりたい放題は許されません。
期間労働者は企業の雇り止めに合い、正月を迎えるのに寝る場所もないというようなことが起きてしまいました。国の規制にかわって経営者にこれだけはやってはいけないという行動規範が必要です。
その役割は、宗教者が担うべきであると思います。
しかし、このようなことは教団レベルの問題です。個々の教師は何も大きなことをやる必要はありません。
できる範囲のことを宗教的使命感にもとづいて行えばいいと思います。
先に話した平和運動、同和運動、人権運動とまではいかなくても、地域のPTA活動や子供会活動でもいいわけです。

光 岡
もともと宗教活動には社会救済の観念があったと思っているのですが、檀家制度ができたことにより社会救済観念が消え失せてきたのではないかと感じます。
そして、先生のお話を聞いて原点に戻ればいいのかと思いましたがどうでしょうか。

長谷川
そうです。そのとおりです。原点に戻るということは僧侶の資質を回復させることだと思います。
お互い注意しあう事も必要ですね。宗教の公益性を議論するのは僧侶の在り方を考える良いきっかけになると思います。

光 岡
長谷川先生のお話を聞いて全日青は宗教的使命感をもち、公益性のある活動をしてきていると自信を持つ事ができました。
本日はありがとうございました。

(文責 社会教化担当委員長 西山文生)