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 インド布教の記録





全国日蓮宗青年会【インド布教報告にかえて】

11月23日(火)

いよいよ龍宮寺の落慶大法要である。5万人の人々が集まってくるそうだ。私たち青年会の唱題行脚がどれだけの人の心を打つ事が出来るか、手っ甲・脚絆・白本衣・木欄五条という姿で出発した。

続々と集まった人たち

 リハーサル通り法要は進んだ。昨日の生徒たちは白い服に身を包み題目が白で染め抜かれた青い袈裟をかけている。本堂の前の参道を2列に並んで花道を作っている姿、堂内に整然と並んで座っている姿はまさに壮観であった。そして圧倒されたのは広い境内を埋め尽くす人々の多さである。5万人どころではない、10万人を越えている。事実、次の日の新聞には12万5千人と表示してあった。
 その集まった人々は口々に「ジャイビーム!」と叫んでいるのである。あらためて故アンベードカル師の偉大さを見せつけられ、スレーカ女史と小川女史の尽力に頭が下がる思いがした。
 法要の後、戸外に特設されたステージにおいてセレモニーがあった。祝いの歌があり花束贈呈があり、祝辞が述べられた。そして、スレーカさんの演説が始まった。堂々とした態度でゆっくりとしゃべるその声に群衆は真剣に聞き、時折拍手し肯いている。マラティー語での演説は何を言っているのか分からなかったが、思わず涙ぐむ姿もあり、その感動だけは青年僧の心にも伝わった。
 式典が終わり、夜はホテルで祝賀会が開かれた。この席で編集部は小川女史に取材した。

小川女史からは、「青年僧の皆さまの唱題は本当に有り難く、感激しました。スレーカさんも皆さんの姿を見ただけで感動し涙が止まらなかったと言っておられます。これから更に自信を持ってお題目を唱えるはずです。私はスレーカさんのお手伝いをさせて頂くだけです。スレーカさんは本当に大変な苦労でここまでこられたのです。日本人の中には、『お金をばらまけばお題目くらい唱えるようになるだろう』と安易に口にする人がいますが、そんな生やさしいものではありません。今日の落成法要は6年がかりで援助してきたことの一つの形に過ぎません。昨日訪れたビリー工場が1993年に閉鎖を宣言されたとき800人の労働者とその家族合わせて3000人近い人々が生きるか死ぬかの問題に迫られたのです。死ぬかも知れないという時には、お題目よりまずその命を助けることが先決でした。私の活動は人道的援助から始まったのです。命を助けられた人の感謝の気持ちは一生消えるものではありません。スレーカさんは私と出会う前から仏教徒でした。1956年の集団改宗以来、人々はアンベードカル様々で頼りとする経典はなかったのです。その地で私はスレーカさんに出会い、援助する縁を頂きました。そして、お題目と法華経の教えを伝えるお手伝いができました。これはお釈迦さまの導きとしか思えません。今後も私は一生涯かけてスレーカさんを応援していきます」というお言葉を頂戴した。

現地新聞より

平成11年12月1日
全国日蓮宗青年会インド布教団 資料作成部
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